GHOST BIKE
アメリカに行ったり、ヨーロッパに行ったりすると、『白く塗られた自転車』がたくさんあるのにみんなも気づいたこともあるだろうし、メッセンジャーなら『悲しい象徴』として道路から見守っている『GHOST BIKE』。
いわゆる『自転車と一緒に事故に巻き込まれて死を迎えた人たちへのお墓』という意味を持っている。
2002年〜2003年の間にアメリカで増え始めたのがきっかけだけれど、俺がサンフランシスコでメッセンジャーやってた時は街でみかけたのは、いっても2〜3箇所くらいだった。2002年頃に、あるアーティストがサンフランシスコでアート作品として『GHOST BIKE』を作り始めたらしい。そのときは色々な意見があったらしいけれど、結局2003年にセントルイスでmemorial projectが始まってから、メッセンジャーや愛好家の中で理性のある考えが広まり、サンフランシスコの街にある自転車人にとって全くもって意味の成さない『fake ghost bikes』たちが壊された。自転車に通じていなかった芸術家が、個人の満足のために作ったたいしてすごくない作品が『僕らのストリート』にある事が気に食わなかったんだと思う。だから、夜な夜なハンマーを持ち出して、残った気持ち悪い白い芸術糞作品を酒飲みながらたたき壊してたのを覚えてる。
俺がメッセンジャーやってるとき、ある仲間が交通事故で無くなった。だから、みんなで彼女の自転車を白く塗って、街に立派な花束と一緒に飾ったりした。別に彼女はピストに乗っていたわけじゃなく、普通のシティサイクルに乗っていただけだった。なぜ白く塗るかはその時分からなかったけれど、世界の自転車コミュニティはみんな繋がってるから、どこかからその文化が一瞬で伝わったんだろうね。
今日、この話しを持ち上げたのは、自転車の仕事もしている俺にとって自転車の情報はガンガン色々入ってくる。その中で、このような写真集が一週間前くらいにタワレコで出たという事を聞いた。その題名は「写真家:今井竜也作『GHOST BIKE』」である。あまり世間には話題になってなく、日本の自転車の世界でも、みんながもうこの文化の事を知りつくしているので全く気にもとめていない感じだが、今回俺が単純に思った事を芸術家としてと元メッセンジャーとして書こうかなって思った。
上記のリンクである「写真家:今井竜也作『GHOST BIKE』」の中の文章でとても気になる箇所を発見。ピストバイクとGHOST BIKEがなぜかリンクしているテクスト。GHOST BIKEという文化を直に知っている人間からすると、あまりにも乱雑なテクストで、作品の意図がバラバラになっている気がする。今井さんの言いたい事がそのまま反映されているのか、取材をした人が感じた過去のピスト問題と一色単にしてしまったのか?Text by Jun Nakadaと書いてあるが、今井さんの言いたい事でない事を願いたい。なぜなら、GHOST BIKE文化の意に反しているから。まるで、「自転車事故が多い日本。ノーブレーキピストが事故を起こす。悪いのはそういった自転車たちだ」みたいな。フォーカスする場所がぶれてる。
以下「http://www.houyhnhnm.jp/culture/news/post-156.html」から引用
“時は2003年のニューヨーク。ピストバイクが台頭し、ひとつのカルチャーが生まれた時代。ノーブレーキのメッセンジャーやライダーが街に溢れていました。その反面、事故の発生率が上昇、多くの人が命を落としたと言われています。以後、このピストカルチャーは海を渡ったロンドンにも波及することに。”
“それから早10年、盛り上がっていたピストシーンは少し落ち着き、その代わりに白く塗られた無人の自転車があちらこちらで目に付くようになりました。これがゴースト・バイクの由来です。”
“この写真集は、見る人によって感じ方が違います。そもそも自転車に乗らない人もいますから。アートとして捉える方もいると思います。とはいえ、未だに見かけるノーブレーキのピストバイク。まずは手に取って見てみてください。きっと心の中で何かが変わるはずです。”
なぜ今井さんは、この写真集を『今』作ろうと思ったのか?コンセプトは?自転車アートを毎日考える人間としてとても興味を持っているし、自転車アートキュレターとしてすごく話しをしてみたいと思いました。
数年前、NEW YORKでDKNYがオレンジ色のバイクをたくさん街に放置したのは、確実にDKNYがエッジーな気分で糞パンクな感じでやったんだと思う。NEW YORKのメッセンジャーたちがぶちきれて、壊してた。その時は笑っちゃった。ファッション業界ってダサイねって。
願わくば、今井さんはなんらかの意図があって、今の日本に何かを伝えたくてこの写真集を出したと思いたい。まだ手に取って見たわけでもないし、本人に会って話したわけでもないけれど、一つ間違えれば、自転車と写真や芸術作品などは『水と油』のようなもので、敵対してしまう事が多々ある。特にアメリカでは。芸術という観念を分からない自転車野郎達は、『fuck that shit off, this is nothing but promoting your own shit』って言うだろうし、中々溝は埋まらないのが事実。作品にするだけで、写真にするだけで、それでお金を作るだけで、海外自転車愛好家の中には怒る人は多い。
俺の友人であったghost bikeの写真があったら、憤りは必ずあると自分も日本人ではあるが、元サンフランシスコのメッセンジャーとして、戦場みたいなところで苦楽を共にした人の死が公にさらされるだけでちょっと気分は良くないかもしれない。でも、ちゃんとコンセプトがあって、その死を労っているのであれば、とても有り難いことだと思う。例えば、売上の一部が『http://ghostbikes.org/』のサポートになったり、なんらかの『GHOST BIKE文化』に対してつながっていたら、いいなと思ったり。もしくは、今日本でないがしろにされている、自転車が自動車で殺されている事を語っていたり。間違っても自転車が悪いなんていうような方向に走ってはもらいたくない。なぜならば、GHOST BIKE文化は、自転車に乗る人たちの立場改善として今に至っているわけだから。
自転車の世界に憧れて、自転車でアート作品を作ったり、安易に写真を撮る事は、本質をまったくとらえていないという事を僕はこの10年で学びました。Bike'n'Shitというイベントを3回数年に渡って続けました。それ相応の覚悟がなければ、アートは自転車という文化に勝てないんです。一般の人にとってはアートになり得るものが、自転車人からするとただのゴミでしかなくなるからです。一般の人が一般の自転車文化を触れるならば何も問題ないと思います。ただ、一般の人がアングラな文化に一歩でも入れば、相応の覚悟が必要となります。
ただ単純に、西洋にはこういう文化があるんだよっていうお知らせの写真集で無い事を願いたい。
まずは手にとって拝見させてもらいます。